風が、吹いた。
それは、とても柔らかくて、
それは、とてもやさしくて。
そして、とても切なくて。
いつも感じていたはずの心地よさは、
今はもう姿を潜めて。
ただただ悲しみと思い出があふれて。
目を閉じれば、今すぐにでもあのときが思い浮かびそうで。
楽しかったあのときに帰れそうで。
でも、
心の傷を思い出で埋めるのが許せなくて。
目を、
逸らした。
「真琴…」
空を、見上げて。
目を、
閉じた。
「なぁ、俺さ…」
答えが、欲しくて。
答えが、返ってきそうで。
すぐそこに、あのいたずらな顔が現れそうで。
「お前にひとつ、聞きたいことがあったんだよ」
人のぬくもりを知って。
人の弱さを知って。
人になりたくて。
願い続けて。
願いかなって。
好きな人の前に現れた少女。
心を置き忘れて。
でもまた好きになって。
「なぁ、…お前さ…」
暖かい家族に迎えられて。
暖かい夢に包まれて。
いとしい人の隣にいて。
それは、夢だった。
「…笑ってたよな…」
目が覚めて、
隣に微笑みかけて。
遊びに出かけて、
二人ではしゃぎまわって。
日が暮れて、
手をつないで帰って。
夜が来て、
いとしい人の隣で眠って。
そしてまた朝が来る。
そんな、悲しい夢だった。
「楽しそうに笑ってたよな」
でも、
それは、
きっと幸せなときで。
「幸せだったのか…?」
忘れられないときで。
どんなに大きな悲しみが待っていても。
それがくると分かっていても。
それは、
きっと幸せなときで。
「幸せに、してやれてたのかな…?」
最後の最後まで、
大切なときで。
色あせないときで。
それは、きっと悲しみで。
悲しみは、きっと優しさになる。
幸せは、このまま…
「なぁ、真琴」
俺は持っていた花を地面に突き立っただけの簡素な石に手向けた。
風が強くなる。
それは、あるいは何かを表現しようとしたのかもしれない。
でも、俺にはそれを読み取ることはできなかった。
「お前を、ずっと幸せにしてやりたいと思ったんだ」
それは、どんな形でもよかった。
真琴が微笑んでいれば、それで俺は良いと思った。
いまでも、それは変わらない。
『俺たち』は、彼女を本当の家族だと思っていたのだから。
どんなに陳腐に見られようと、それで良いと思っていた。
「いまでも、それは変わらない…」
そう、変わらない。
いまでも、幸せにしてやりたいという思いは変わらない。
「でもな」
思い出に、変えたくない。
思い出に、すがりたくない。
「もう一人、幸せにしたいやつができたんだ」
裏切っているのかもしれない。
自分の気持ちに。
「幸せにしなきゃいけないやつができたんだ」
裏切っているのかもしれない。
あいつの気持ちを。
「俺たちが得た幸せは、きっとお前にも届くよな」
それは、自己満足だった。
偽善的な、親切。
答えが返ってこないと分かっていながら、どこかあきらめの悪さを捨てきれずに。
「お前以外のやつも、幸せにしても良いよな」
自分が、どんなにひどいやつか分かっていて。
でも、いまは落ちるところまで落ちていきたかった。
真琴のことだから、きっとこんな風に言うんだろうと思いつつ。
『だめよぅ!祐一は私のなんだから!』
そんな答えが返ってくるのを期待して。
そんな答えが返ってきたら、きっと要らない迷いは晴れるのにと思いながら。
それでも、答えは返ってこなかった。
ただ、風だけが吹き付けてきた。
風の方向が、変わる。
柔らかな感触が、首に触れた。
「答え、返ってこなかったね」
のんびりとした声。
「ああ、そうだな」
それが、いまはとてもありがたかった。
「残念だったね。本妻が現れなくて」
決して声に攻めるようなところはなくて、ただただ、安らかな心の傷を共有した表情。
「これで、私二号さんだね」
思わずずっこける。
「あのな、誰に聞いたんだそんなこと」
「うんとね、お母さん」
あっけらかんとしている。
まったく普段どおりだった。
「おまえさぁ、意味分かってていってる?」
思わず聞いてしまう。
「うん、ちゃんと意味も聞いてきたから」
秋子さん…、これ以上名雪を強くしないでください…。
「あのな…」
おれは、言葉を飲み込んだ。
このせりふで、一番傷つくのが名雪だと分かったから。
でも、
このせりふで、一番傷つくのが名雪なはずなのに。
「大丈夫だよ。祐一の一番は真琴でも、私の一番は祐一だから」
それでも、強く微笑んで。
この従姉妹は、俺がどんなに突き放しても、決して俺のそばを離れようとしなかった。
極め付けが、『一緒に背負っていこう。同情でも、哀れみでも、ずっと絆を守っていこう』だ。
…もう一生、頭が上がらないことは確実だった。
「相沢さん、大丈夫ですよ」
俺は、名雪とは反対の隣を見る。
「私たち、皆で引きずっていきましょう。…思い出に変わるまで。傷がいえるまで」
それは、二度の別れを経験したからこそ言えるのだろうか。
彼女は、決して強くなんかなかったのに。
「いいのか、天野。お前まで付き合う必要なんかないんだぞ、こんな偽善野郎に」
これから俺たちがやろうとしているのは、誰のためでもない自己満足。
くだらない傷を何時までも舐めあって、落ちていこうという浅ましい決意。
いつか、すべて報われるまで。
そう、俺たちが信じられるまで。
それは遠くて、近くて。
決して正気で乗り越えられはしないだろう山道。
「大丈夫ですよ。相沢さんは、強くなれます」
「俺が?」
「はい」
「うん、そうだね」
俺は、強くなんてないのに。
こんなに、中途半端なやつなのに。
それでも、それでもまだ、俺が強いっていえるのか?
「俺は強くないし、なれないさ。…すこし、意地が張ってるだけだ」
そんな俺に、ついてきてくれた二人。
進む道を教えてくれた天野。
いつも影に立ち、支え続けてくれた名雪。
そんな彼女たちに励まされて、俺は自分の道を歩く決意をした。
名雪と一緒になるのは、いわば義理のようなものだった。
それを本人に告げても、一向に気にした様子はなかった。
酷い奴だと、偽善者だと罵られても良かった。
ずっと一緒にいてやることくらいしか、俺にはできなかったから。
それでも、名雪は微笑んだ。
『祐一が良いなら、それで良いと思うよ。…すこし寂しいけど、祐一が一緒にいてくれたら、いままでどおり一緒にやって行けるなら、真琴の思い出もきっと幸せにして上げられる気がするから。・…自分勝手だけどね』
きっと、それが名雪の強さ。
母親を失いかけたときに得た、大きなやさしさ。
だから、俺にもそれを持ってほしいと、そう笑った。
冷たい風が、さらに激しくなった。
今度は、何を言いたいのだろう。
非難しているのか?
哀れんでいるのか?
どちらにしろ、俺がとった選択が本当に自分のためだけに回りを犠牲にしているものだと思った。
それが、枷になる。
その重さを、いまの俺は望んでいた。
「祐一、それは違うよ」
「え?」
俺は、思わず振り向いていた。
それは、まるで見透かしたような言葉だった。
見透かしたような瞳だった。
「きっと、早く前を向いて進めって押してるんだよ」
「…おまえ、いつからエスパーになった?」
「なんとなく分かるよ」
でも、それでも。
名雪の言っていることが本当なのだとしたら。
俺は、いつだか聞いたせりふを思い出した。
『他人を幸せにすることで、初めて自分が幸せになれる』
それは、壊れた格言だと思う。
そんなことをしたって、偽善に変わりない。
そうしているうちに、いつか自分が狂ってしまう。
それでも、偽善だと分かっていて、狂気だと分かっていてなお信じられるなら。
それは、とても良いことじゃないかと思えた。
そして、それを実践してみようとも、思った。
風は、強さを増していく。
冷たさをましていく。
そして、それは、俺の背中を押していた。
「相沢さん。何時までもここにいては、母親に良くないですよ」
天野が、そう茶化した。
最近良く見るようになった笑顔。
幸せにしようとしている他人はその笑顔の持ち主ではないけれど。
「わ、そうだった。ねぇ祐一〜、早く帰ろうよ〜」
「おまえね…」
選択は間違いでないと、天野は言った。
『私は、相沢さんと同じですから。…きっと』
だから、俺は名雪の手をとった。
どんなに汚れていても、どんなに醜いものでも、俺はその偽善をひとつひとつ心に変えていく決意をした。
歩き出すのはそれぞれの道。
でも、俺はそこに、より色濃くあいつの存在した日常をつなぎとめておきたいのかもしれない。
だから、俺は名雪の手をとった。
こんなに汚いてを、名雪はしっかりと握り締めてくれた。
歩き出すのはそれぞれの道でも、帰る場所は何時までも、あのぬくもりであってほしかった。
だから、俺は名雪の手をとった。
風が、吹いた。
それは、とても柔らかくて、
それは、とてもやさしくて。
そして、とても切なくて。
いつも感じていたはずの心地よさは、
今はもう姿を潜めて。
ただただ悲しみと思い出があふれて。
目を閉じれば、今すぐにでもあのときが思い浮かびそうで。
楽しかったあのときに帰れそうで。
でも、
心の傷を思い出で埋めるのが許せなくて。
だから、俺は一人の少女に誓った。
幸せの場所を、何時までも支え続けていくと。
だから、俺は一人の少女に誓った。
同じ過ちは繰り返さないと。
だから、俺はあの日の少女に誓った。
いつか、すべてを受けて止めて見せると。
END
こんにちは、管理人セラフです
今回は、何でこんな話になっちゃったんでしょう?
HAPPYENDにもできたんですけど。
しかし、すごいギャップですね、前作と比べると。
思い浮かべてみて、きっとこんな彼らもありかな〜。
と思える程度にしておいたんですけど、どうでしょう?
ぜひ、感想ください。
それではまた、次回お会いしましょう。
2001/9/3 AM 3:40
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